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何から書いたらいいんだろうか。
TAIJIさんと音楽をするに当たって一番長い間、時間を共にしてきたメンバーである。
ヘヴンスの活動には正直必要なメンバーだったと今でも思う。

ただTAIJIさんの元から去る時、そしてその後の彼の行動は理解できない事が多かったのは確かで、自分も含めTAIJIさんの周りにいる人達がRYUTAROに疑問を持ってしまった。
彼自身のバンド事情もあまり上手く行ってなかった様なので、少なからずその影響もあったのかもしれないけど、今思えば彼の脱退は単純に人間の価値観と人それぞれの生き様の違いではないだろうかと思う。

TAIJIさんと音楽始めた時、自分とRYUTAROは対等に話せるようにと、うちらは共にタメ口で行こうと決めていた。でも途中TAIJIさんが年上の自分にタメ口きいているRYUTAROにブチ切れてしまって(笑) それ以来、多少上下関係的なものが出来てしまったのだった。でも、やり辛くなったかもしれないけど、彼は彼なりに意見を言って自分の音を確立していった。

後々バンド活動が進んでいく中、音楽以外の温度差が現れるようになった。それは音楽には良くあるお金の配分の事だった。これも先に書いた事と重なるけど人それぞれの価値観の違いだと思う。自分はヘヴンスをバンドとして見ていたのでバンド単位でお金を管理するものと思っていた。その反面RYUTAROは音楽で飯を食っていこうというと決断していた為に自分のヘヴンスに対する貢献度や功績に対する評価が欲しかったみたいで。。でもヘヴンスはそこまで余裕のあるバンドではなく、彼が満足するまでには至っていない。だからその点でバンドが揺れていたのは確かである。

自分から見てRYUTAROという人物はとにかく熱い奴だった。
多分リーダーを経験してる為、親分肌的なところがあり、まれにTAIJIさん差し置いてまとめて行くところが良かったと思う。 とにかく音にはうるさい奴だった。ただ、お酒が入ると一気に変貌し周りが迷惑する人物に化する。そして最後は誰かが世話をする。。(笑)

今こうしてEpisodeを書いていて思うのだけど、RYUTAROが去った後は確かに自分も感情的になり彼の事はどうでもよかった、でもヘヴンスが発足してからの長い年月で見るとあまりにも色々な事があり、それが楽しかった事でも嫌なことでも全て思い出となっているんだよね。

TAIJIさん、俺、RYUTAROの3人で良く交わしたお酒が懐かしく思う。


つづく。。。

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2007年の後期にはヘヴンスの1st mini albumに入る曲は大体形になっていて、初ライブはワンマンでとTAIJIさんは言っていたので、次にライブ用に曲を作る作業をしていて、これまた少しずつではあるけど進めていた。

そんな中、復活しメインで活動していたDTRが活動停止となってしまう。
自分はDTRのメンバーさんの中では自分は藤本さんと清水さんしか面識なく、他の方たちと喋った事がない。だから安易にこれが原因ですとは言えないのだけど、少なくとも自分が知る限りDTRのメンバーさんは昔のブログでも分かるようにTAIJIさんをサポートし、一緒になってDTRを飛躍させようとする同志であったと思う。

ただバンドをサポートするスタッフさんも活動を左右する要因となると思うのだけど、TAIJIさんはそのスタッフさん達とはあまり上手くは行ってなかった。
そういう中で活動が停止された後TAIJIさんはオフィシャルブログで「D.T.R関連の一切の利益がスタッフにのみ渡っており、メンバーには一円も還元されていない」という内容で書いている。

これは自分が唯一TAIJIさんのオフィシャル発言で否定することだけど、この件はTAIJIさんの誤解だと思う。スタッフさんへの嫌悪感が積もり募って内容の大半が感情の勢いで書いてしまった様に思えた。ニュースにもなってしまったのでどうしようと周りが困惑してしまった記憶がある。

これこそ一度スイッチが入ってしまうと止められなくなるTAIJIさんの性格が如実に現れたブログな感じがした。でも周りはTAIJIさんの性格を知る人ばかりだったと思うので、それに対して反論するオフィシャル的なコメントは自分の知る限り無かったと思う。




つづく。。。

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TAIJIさんの足が徐々に良くなりはじめ、退院後時々サポートのステッキを使っていたんだけどその使用も殆んどなくなり、自分で問題なく身の回りの事をこなせる様になってきた。

ちょうどその頃にTAIJIさんとスタッフの人と共に三浦霊園に眠る亡きhideさんのお墓を訪れた事がある。2007年6月初旬、まだ初夏なのに結構暑くて2人共タンクトップの真夏のカッコで向かったのだった。

TAIJIさんは命日に行きたいと言っていたけど多分ファンが多いからと周りに反対され日程をずらしたのだった。自分も以前訪れた事あるんだけど、長い月日が経っても変わらず沢山の花に囲まれた綺麗なお墓に眠っていた。

そこで偶然にもhideさんのご両親にお会いし、TAIJIさんは昔の話や近況を話し懐かしい時間を過ごしてるみたいだった。

その後その霊園からの見渡しが良くTAIJIさんはリハビリも兼ねて散歩し、その後三浦海岸の砂浜に移動し潮風を感じながらゆっくり流れる時を感じてる。。と言いたい所だったけど、途中からTAIJIさんは自分をどうにか海へ投げ入れたいのか何を目論んでいるのか、いい大人が2人海岸で奇声あげていた。



ちょうどこの頃、TAIJIさんの元には新谷さん(RAPES)をはじめ昔の友人の方が顔を出されるようになりTAIJIさんも昔の記憶とともに色々な方と付き合いを広げていく事になる。

ヘヴンスでは「BLOOD IN BLOOD」のギターやベース入れが終わり、ボーカルメロディを試行錯誤している時だったと思う。



つづく。。。








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