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メリークリスマス!!
TAIJIさんとのクリスマスも色々やったので思い出してしまう。
みんな良いクリスマスを送ってくださいね。


Episode 32 日産スタジアムLIVE その1


2010年8月14日と15日と知っている人にはとても貴重なライブが行われたのだった。

そのライブの1ヶ月前ぐらいにTAIJIさんは旧友であるメンバーと再会していて、その辺りからライブ参加の話が持ち上がったみたいだった。でもそれ以前に本人も言っていたけど、盟友と呼ぶ人たちとの話が懐かしくもあり、楽しかったらしく、その時の状況を色々TAIJIさんは微笑んで話してくれた。

でも具体的な話はライブが近づいてからで、それまでは実際に正式な形で発表も無くTAIJIさんも気持ちの準備も出来ずにいたと思う。
だから8月1日にもヘヴンスのトーク上映会が行われたのだけど、その時は詳細が決まってなかったので何もその件は触れることは無かったと思う。

その後数日ぐらい経った後にTAIJIさんから連絡があり「曲目も決まって、リハーサルもあるから準備しておいてくれ」と。その時聞いた曲目はライブ行った人なら知ってると思うけど「X」である。ただTAIJIさんは「Voiceless Screaming」もやって欲しいと言われていたみたいで、でもちょっと時間が無さ過ぎるのでそれは断らせてもらったと言っていた。

元々TAIJIさんはXの曲を体で覚えているみたいで、時々ヘヴンスのリハーサルでも手慣らしに色々な曲の一部を演奏していたのだけど、さすがに今回はステージの規模が違う為か練習していた(笑) Xの「BLUE BLOOD」のアルバムを聴きながらBASSの練習するTAIJIさんはいままで無かったのではないかと思う。

8月12日から15日までTAIJIさんと行動を共にしていた。
12日の記者会見の時からTAIJIさんは凄く緊張していたみたいで、一緒にいてもなんか落ち着きがないように思えた。
でも確かにライブハウスが中心の活動していた人がホールを越えてスタジアムでプレイする、その気持ちはTAIJIさんしか感じることは出来ない唯一の特権でもあり、一種の試練なんだろうなと思った。
でもそんな事TAIJIさんをあらためて偉大な人と感じることが出来たし、今後自分は一緒に活動して良いものなのかとちょっとだけ疑心暗鬼に陥ったのも事実である。

自分はこの日産のライブで、出来る限りTAIJIさんをサポートできたらとの思いで結構普段と変わらぬ感じで接しようと思っていたけど、付き人とはいえハンドルを握りいざスタジアムに足を踏み入れると(素人的な文章で申し訳ないけど)セキュリティから多くの関係者から現場スタッフから全てのスケールのデカさに身を引き締める結果となってしまった。

でもこのような経験は人生でそう何度もある事ではないのでTAIJIさんにも感謝しつつTAIJIさん参戦の日産スタジアムライブの準備が始まったのだった。


ライブ初日の楽屋にて




その2につづく。。

拍手[92回]

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ヘヴンスの活動と平行して動いていたバンドがTSPだった。
実際その他にKilling Red~も含めるとTAIJIさんが在籍するバンドはこの頃3つ存在してる。

それぞれが違う要素を持ったバンドであったけど、TSPは女性Voも入るラウドロック
で、そこにTAIJIさんが存在するという事が斬新だったと思う。
自分もこの手の音楽でバンドはやった事無かったので、このTSPで自分なりに一番良い存在の在り方を探りながらのスタートだったと思う。

ただ暫定的な感覚でTSPも掛け持ちしたので、どこまで自分が関わって良いものかわからず楽曲面ではすべてShuさんやTAIJIさんにお任せな感じだったと思う。

2010年4月に1stライブとして仙台マカナでライブが行われた。
仙台は6~7年前にジャンクボックスというライブハウスでやった記憶があったけどそれ以来だったと思う。牛タン料理もそれ以来だった気がする(笑)

確かライブ前のインタビューか何かで仙台入りは前乗りにするか後乗りにするかと言っていたけど、結局2泊3日でちょっとした観光気分で仙台入りしたと思う。
機材車が仙台市内に入るとなんか若干記憶にある街並で、懐かしい感じもした。

ライブはイベントだったので演奏曲はそれほど多くはなかったけど、当初結成からの日程を見るとよく間に合ったなと思うぐらいギリギリで、自分に至っては直前まで歌詞を覚えてる状態だった(笑) でもライブはお客さんも沢山入ってくれてTAIJIさんも凄く調子良くステージでもShuさんとのMC全開だったので楽しいライブが出来たかなと思った。

ただ自分にとってはこのライブで課題が山積みで、今後自分のスタイルをどう変えていこうかと悩んだのは事実で、ヘヴンスとはまた違った見せ方をしたいけど果たしてどれがベストな形なのだろうかと試行錯誤が始まる(笑)



拍手[6回]

ちょうど東京ライブが終わった後、TAIJIさんから韓国の音楽関係者と知り合いになってオファーを貰っているので韓国も活動の拠点のひとつにしたいと言われていた。

元々初めはTAIJIさん1人で行く予定だったのだけど、韓国のプロデューサーがヘヴンスのCDを聴いてバンドとして是非という事だった。
前回書いた柏ライブの直前、大阪で自分たちはその韓国の音楽関係者の人とミーティングしている。驚いたのはその中心人物韓国プロデューサーは自分たちより年齢が若いということだった(笑) でも色々韓国での活動に対して熱心で、若さを感じさせない紳士さを感じた。

2010年6月に韓国遠征ライブを2回やる事になる。

韓国は身近な国だけどいざ、どういう国か?と言われると全く持って説明が出来ない。行く前に韓国の案内や観光マップなどの書籍を買って調べた。 あとライブMCで少なからず韓国語を話そうと韓国語入門の本も買ったとも思う(笑)
まず初めに6月12日SEOUL SINCHON ROLLING HALL 「THE ROCK DOG KOREA 2010」という韓国プロデューサー「JUN the MIYAKO」さんが企画したイベントに出演したのだけど、その前に韓国という国の街並は日本に似ていて特に外国に来たという感じは受けなかった。見た目も同じ人種なのでさほど違いが分からないのもあるけど。
でも街中を歩いてる自分たちは服装が韓国人より派手だった為浮いてたかもしれない(笑)
「THE ROCK DOG KOREA 2010」と題されたライブでは1部でトークサイン会、2部でライブと2部制で行われた。イベントも結構人が来てくれて、やはりTAIJIさんは韓国でもXの時の印象が強くて韓国のTAIJIファンも遠方から見に来てくれた人沢山いたと思う。それに伴いイベントでもサプライズ的な事をやったと思う(笑)
しかし韓国のファンもとても温かくて、そして熱くもあった。

ライブが終わると韓国プロデューサーさんが色々な韓国料理を食べさせに連れていってくれたのだった。これ以来だろうか韓国料理の名前が多少分かるようになったのは(笑) その他観光名所も案内してくれて韓国で様々な経験をさせて貰った。今ではこれもTAIJIさんとの思い出の1つだし、プロデューサーJUN the MIYAKOさんには感謝してる。ただ未だに韓国人なのにJUN the MIYAKOという名前名乗っているのか分からない(笑)

2日目は同月26日SONGDO CONVENSIA 「The Mule Festival」という韓国の楽器フェアの特設会場のイベントでの出演だった。様々な楽器が会社別でブースで仕切られて紹介されている。東京ビックサイトとかでよくあるイベントだろうか。
ライブまでの時間メンバーも楽器類を見たり触ったりで自由な時間を満喫していた。
ただライブは同期演奏で使う機械の電源から煙がでて破損したり、進行がスムーズに行かなかったりと波乱づくしだったので心配もあったけど、無事に終わったと思う。

このライブ後に食べたサムギョプサルが物凄く美味しかったのを覚えてる(笑)
韓国ライブにあたり、結構韓国のタクシーも利用したのだけどタクシーに限ってはとても安いのである。日本のタクシーが異様に高額な感じを受けた。

2010年に再び韓国でとの声もあったけど、結局TAIJIさんはヘヴンスだけでなく他バンドも同時進行していたので日程の都合上、2011年3月に再びやろうという話が上がっていて、震災の為中止になってしまったライブ告知で止まってしまう。

でも韓国に関しても色々勉強になったし、初めての経験があったので関係者の人たちには感謝で一杯である。
4日後にせまったHEAVENSライブではこの時の映像も流したいと思うのでお楽しみに。面白い内容になると思うので。

だいぶ涼しくなってきた。
HEAVENS10/14のライブに向けて気合入れて準備してます。

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