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ライブが無事終わっていよいよ次はオリジナル曲でのライブを目標に活動を進めて行く事になる。

その前にライブの感想はと言うと。。自分の中ではただの勢いで真ん中に立っている学園祭みたいなボーカルでしかなかった。TAIJIさんに申し訳なく、恥ずかし思いでもう2度とあのライブ映像は見れない(苦笑)

でもそんな中、TAIJIさんは色々ダメ出しはあったものの「プレッシャーの中よく歌った」と温かい言葉をかけてくれたのだった。


新たなる活動に向けてメンバーはまだTAIJIさんと自分しかいない。実は横浜ライブに後のメンバーになるRYUTAROとTAKANARIは来ていてRYUTAROは自分と同じく音源を送ってTAIJIさんから声を掛けられた人物だと知る事になる。

ギタリストの候補はこの時例のスタジオで働いていたHALとRYUTAROだった。HALはデモ音源、RYUTAROは以前のバンド「faze」の曲をTAIJIさんは聴いていて、それぞれ会ったりもして最終的にロック色の強いRYUTAROに決定する。

書き忘れていたけどちょうど1stライブが行われる少し前(2006年4月頃)にTAIJI OFFICIAL WEB SITEが立ち上げられ、この頃からTAIJIさんの情報が盛んに発信されるようになって行った。自分のサイトも同時に立ち上がり数ヵ月後にこのブログがスタートされる事になる。これらは自分がTAIJIさんに紹介した昔の友人でもあるMIHIROという人物が作成しており、彼もTAIJIさんの復活を支えた1人であり今でも感謝している。2010年1月発売のヘヴンスの1st mini albumのジャケットも彼が手掛けている。


ヘヴンスはTAIJI、DAI、RYUTAROというラインナップで進められていくことになり、頻繁に3人で集まってオリジナル曲作成の地下活動に入る。1st mini albumの1曲目の「Keep The Faith」はTAIJI家で集まってRYUTAROが弾いていたコード進行にその場で自分が付けたボーカルメロディーをTAIJIさんが気に入ったみたいで、そのまま採用になり1番最初にできた曲でもある。

ヘヴンスがオリジナル作成している一方でTAIJIさん自身のバンドであるDTRも再始動に向けて動き始めていた。皆メンバーはそれぞれ貫禄があり大人のロッカーという印象を受けた。

そしてDTRが活動を進めて行きTAIJIさんもいよいよ本格的に動き出そうとなった時にTAIJIさんの体に異変が起こりはじめていたのだった。


つづく。。。


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ライブが決まってから物凄い時間が経つのが早かった。
しかもライブはかれこれ東京を離れて以来になるので2年ぶりぐらいで、正直リハーサルは入ってたもののライブ感覚がいまいち分からない。

でも、その不安以上に普段緊張などしない方だったがやはりTAIJIさんと同じステージに立つ事からか、平常心でいられない。これがまさしくプレッシャーという物なのか。。

TAIJIさんはこのライブの時だいぶ足も動くようになっていて、本番リハーサルでもほとんど立って演奏できるようになっていた。書き忘れていたけど、この当時リハーサルで使用していたスタジオは最終ヘヴンスメンバーであるHALが勤めていたスタジオである。

でもTAIJIさんは自身の体の事より、自分の事を心配してくれて「気合い入れて乗り気りなよ」と励ましてくれるのだった。

横浜サウンドホール
幕が開くとお客さんも入ってるし広く感じた。1曲目2曲目とライブが進行していくのだが、ちゃんと歌えてるのか、自分はどんなMCしたか、どんな煽り方したか正直分からなかった。後にライブ映像見てすべてがうまく出来てなかったとういうのが自分の正直な感想なのだが。。。

TAIJIさんも久し振りのハードなステージでキツそうだったけど、さすが演奏もファンサービスも難なくこなしていた。この時、やっぱりこれこそ数々経験してきた人だなと感じたのだった。

ライブ最後の2曲はXのカバーだったので(TAIJIさんにとってはオリジナルになるが)余計に緊張度が増したのだけど、TAIJIさんが久し振りにXを演奏するという事でファンの人達も盛り上がってくれてむしろ自分が助けられ感じがした。

時間にして確か45分ぐらいのライブだったけど、知らぬ間に終わっていた感じで、無事終われたせいか我に返ると緊張は既にほぐれていた。
それほど自分にとっては今までの人生で最大のイベントだったのだと思う。

ライブ終了後TAIJIさんも「やっぱりロックは良いな」と疲れててるようだったけど笑顔で語っていたのを覚えてる。

あとこのライブではTAIJIさんがメンバー紹介でKey清水さんの事を「DTR清水」と紹介していてこの時まだ話は進んでいなかったのだけど、後にDTRの再始動をうかがわせる言葉を発している。

その事も後に書いていこうと思う。


つづく。。。














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ちょうどその頃横浜サウンドホール(現横浜サンフォニックホール)からTAIJIさんへイベントライブの出演依頼が来ていて、ライブ会場はそこに決まった。

そして日程は2006年5月14日となり3バンドでのイベントになると伝えられた。出演はTAIJIバンド、CLOUD NINE 、天照。
そしてバンドのメンバーはGENさんにギターをやってもらう事になり、ドラムはMASAHIKOが叩く事になった。そしてその頃TAIJIさんと連絡を取っていたDTR清水さんもキーボードで参加してくれる事となり
Ba.TAIJI
Gu.GEN
Key.SHIMIZU KENJI
VO.DAI
Dr.MASAHIKO
のラインナップでTAIJIバンドは構成された。

でもその時バンド名はまだ決まってなく、TAIJIさんと色々名前を出し合っていた。ちなみにTAIJIさんが候補に挙げていたのは
「OUT SIDE OF HEAVENS」
「VIOLET ROSES」
などあった。結局、TAIJIさんと自分以外まだ正式メンバー決まっておらず、しかも自分は全くの無名のバンドマンということでTAIJIさんの名前を前に出して活動しようという事になり「TAIJI with HEAVENS」に決まった。

次に決めないといけない事は曲である。
元々最初はカバーでライブやろうという事になっていたので、取り急ぎ曲を作る作業はなかったのだが、なかなか選曲に時間がかかった。当時TAIJIさんが聴いていたCDや以前好んで演奏していた曲中心に候補を挙げていって、最終的にRob ZombieとSteppenwolfはカバーすることになった。あとXからも何かやろうということになり2曲「Desperate Angel」と「Miscast」に決まりスタジオリハーサルが始まった。

そして先でも書いたように対バンはCLOUD NINEである。このリハーサルでTAIJIさんに「Shuにもゲストで何曲か弾いてもらうから」と言われていたのだが、バンド名は知っていたもののShuさんには会った事はないしどんな人かもわからない。2回目ぐらいのリハーサルで一緒になり初めて紹介して貰ったのだった。Rob Zombieのカバーでゲストしてくれるみたいで初めて音を合わせたのはこの時である。リハーサルは爆音すぎて自分の声が聞こえなかったのを覚えている(笑)


最初のShuさんの印象は、結構冷たかったかな!?(笑)
でも当時の自分でもそれは理解していた。Shuさんに限らず誰から見ても見知らぬ若そうな奴がTAIJIさんとステージに立つのはあまり理解できないし、不安だろうから。それはファンから見ても感じることで、TAIJIさんからはそれら含め「いろいろなプレッシャーが必ずあるから頑張って乗り越えるように」と言われていた。

まだこの時Shuさんの事を詳しくは知らないのだけど、後にTAIJIさんは「あいつはムカつく事多いけど、俺にとって最高の達だし、あいつだけが俺の事を理解してる」と言っていたので、逆にこれだけはっきり言える友達がいるのを羨ましく感じたのを覚えてる。

そして最終リハーサルも終わり、本番を迎える事になった。


つづく。。。








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