忍者ブログ
[6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

TAIJIさんに一緒にやろうと言ってもらって直ぐに東京に行く事になった。行動は誰よりも早いと自負する自分は2週間後にはTAIJIさんが当時住んでいる家の近くに引越しをしたのだった。
2006年2月の事である。

楽器関係の音楽機材だけを名古屋から送り、自分は何も持たないそれこそバッグ1つで東京である。でもその時は東京へ行くというより、自分にとっては東京に戻ると表現した方がしっくりくる感じがした。

半年前自分がとった行動を振り返ると、夢みたいな展開が訪れていて、これから先の展開は未知だけど、少なくとも会社員で平凡な生活送ってた毎日とは別の人生が現れたのだった。
だからこの時、何か思いついたり望む事があるならまず行動にでないと何も始まらないのだと、あらためて自分自身で感じたのだった。


東京に移ると1週間に2、3回はTAIJIさんに会ってこれからの事や今作ってる曲などを聴きながら話を進めていった。
またその頃TAIJIさんは[TAIJI NIGHT]というイベントをやっていてそれを見に行ったこともあった。そこで初めてGENさんに出会いその他色々な人を紹介してもらう事になる。

その他にやっていた「音風」というユニットはボーカルを務めていた妹さんが脱退し活動休止になったとTAIJIさんから聞き、「しばらくライブがないからとりあえずカバーで良いからお披露目という感じで一緒にライブやろうよ」と言われ行われたのが2006年の5月の1stライブである。

まだバンド名など決まってなくその前にメンバーも決まってない。
ライブ以前にそれらから決めないといけない。TAIJIさんはよく行動を共にしていたGENさんに声をかけてくれて、ドラムは自分の以前からの知り合いであるMASAHIKOを紹介した。


つづく。。。











拍手[2回]

PR
この最初のTAIJIさんと会う予定では3日間を予定していた。

東京に長く住んでいた為知り合いは沢山いて、今回は1人の友人宅に泊まらせてもらっていたのだが、初日にその友人宅に戻った自分は今回の出会いの衝撃さを語ったのだった。

でも彼はロックにあまり詳しくなく、Xという名前を知ってるだけで「おーそれは凄いね」と軽く返すぐらいで。。この緊張した瞬間、というかありえない展開をどう説明しても分かってくれない、いやそれ以前にわかるはずはない(笑)
音楽仲間も沢山いたのだけど、流石にまだどうなるか分からない状況で伝える事が出来ない。

そんな中帰宅した夜TAIJIさんから電話がかかってきて「DAI君の歌声聴きたいから明日の夕方カラオケ行こう、Voiceless歌ってよ」と。。冷静にわかりましたと応えた自分は電話を終えた後、どうしよう? ×10 と頭の中はそればっかだった(笑)何故なら送ったCDは2ヶ月ぐらいかけて全体で録って良いとこ取りした音源だったから、絶対に上手く1発で歌えることは出来ないからだ。練習しようにもその日が明日なので時間もない。
しかもよく考えたらXのメンバーの前でXの曲を歌う事などこの人生で想定してない。

まともに寝付けぬまま次の日を迎えた。

昼間はこの先どうなるか分からないのに気持ちが既に東京にあるせいか不動産会社を回って物件を探していた。やっぱり東京は家賃が高い。
と、これから起こる出来事の緊張を不動産で紛らわせていたかもしれない(笑)

夕方待ち合わせの前に現れたのはまたも初日と同じような姿のTAIJIさん。余計に緊張が増す。。。
2人でカラオケボックスに入ると「とりあえずVoiceleess歌ってよ。原曲キーでね。喉の調子は良い?」と微笑みながらでTAIJIさんは言ったのだった。「大丈夫です」と冷静に笑って応えたのはいいのだが、その反面自分の鼓動がありえなく暴れ狂っている(笑)

たぶんこの時は今まで経験したライブでの気合い以上にこの1曲に力を注いだかもしれない。やはり自分にはXはキーが高すぎると実感するが、歌い終えるとTAIJIさんは「良いねぇ。んじゃ次Forever Love行こうか」と。。。。1曲じゃないんですか~~~~?!!!と心で叫ぶ(笑)

TAIJIさんは歌い終えるとすぐ次をリクエストしたのだった。
結局X以外にメタリカやオジーなどの洋楽もリクエストされてもうライブワンマン終えたぐらいに声がガラガラで、後半はまともに声が出てない。おなかが筋肉痛になる感じで痛かった(笑)でもこの時の出来事は凄い自分にとって貴重で、生涯忘れる事はないものとなっている。

その後TAIJIさんの家に向かい、その夜はカラオケの事と送ったCD同封の手紙について色々聞かれたのだった。

「結構色々な曲歌えるんだね。そういえばあのCD他に誰に送ったの?」
自分は正直にYoshikiさんとTAIJIさんに送ったと伝える。
「Yoshikiからは連絡きた?」と続けて質問される。

実際別に進展する内容ではなかったのだけど、TAIJIさんから連絡もらった1週間後ぐらいにロスのYoshikiさんのマネージャーさんらしき方からメールを頂いていたのでそれも正直に話した。

「でも思い切った行動したよね。あのCDにはびっくりするよ。これからバンドを作りたいと思うんだけど、色々なジャンルの曲歌えそうだしボーカルやってくれない?」とTAIJIさんが言った時、初めて自分の行動は間違いではなかったと実感した。




つづく。。。























拍手[4回]

2006年1月。

寒さが増してきた本当に真冬の季節だった。
新幹線のチケットと小さなバッグを持って再び東京へ向かった。

ついにTAIJIさんとの対面する日がやってきたのだった。
それほど緊張などする方ではないのだが、流石この時だけは落ち着きが無い。それもそのはず、事前にTAIJIさんに「新幹線のチケットの座席を教えてくれ」と、そして「ホームまで迎えに行くから」と連絡を受けていたからだ。

ちょうどその頃音風のホームページでも発表されていたのだけど、TAIJIさんはじん帯を負傷していて歩ける状態ではないと聞かされていた。だからこちらから家まで伺いますと伝えたけど「大丈夫だから」と笑って答えてくれたのだった。

東京までの道のり、色々な事を想像していた。TAIJIさんとはどんな人物なのだろう?どんな生活をしているのだろう?


名古屋から東京まで「のぞみ」で1時間50分ぐらい。あっという間にその時間は過ぎて気付けば東京駅まで来ていた。車両のドアからでるとそこには松葉杖を持った自分が知るXのTAIJIが立っていた。革ジャンにウエスタンハット、そしてサングラス。

第一声は「初めましてTAIJIです。DAI君背高いなぁ」だった。
唯一残してあったハイヒールのブーツで来た為、普段より背が高くなっていたからだと思う。CDと同封で昔のアーティスト写真も送っていたのですぐ自分だと分かったみたい。
自分はというと感動のあまり声が出なく、挨拶と同時にTAJIさんにハグしていた(笑)

その後タクシーに乗りTAIJIさんの自宅まで向かったのだった。
自宅に到着したのが夜だったため、その日は3時間ぐらい話をしたと思う。でもその3時間で分かった事がある。生活の中に音楽、楽器が同居している事だった。自分と話す時TAIJIさんは常にギターを持って会話し、ギターを放した時は音楽を流す。

後々「ロックは成る物ではなく在る物」と聞かされるのだが正にこの事なんだと思った。

その時の会話というとこれまた緊張していたせいでもあり、正直明確に覚えてないのだけど、何でも聞いてくれと言われたせいで身も蓋も無い事を聞いていた思う。今思えば恥ずかしいのだが、まだ1ファンが憧れの本人に会えたという感覚しか無かったのだと思う。

この日は電車が無くなる前に別れ、また明日おいでと言葉をかけられてTAIJI家を後にしたのだった。


つづく。。








拍手[4回]



忍者ブログ [PR]
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カテゴリ:<%sub_title> の記事一覧

≪新しい記事一覧へ | | 15 古い記事一覧へ≫ 16 17

18
19