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TAIJI with HEAVEN`Sトーク上映会は無事終わりました。
参加してくれた人本当にありがとう。

あの90分の上映時間の中には今日までのヘヴンス活動が集約されてると思うし、オフショットも多々あったので面白かったんではないかと(笑)

TAIJIさんと時間を共にして5年ぐらい経とうとしてる。
初めて会った時じん帯を損傷してて松葉杖で俺を迎えてくれた。当時「音風」というユニットをやっていてステージではずっと立っての演奏が困難で椅子に座りながらライブしてたと思う。

でもその不自由ながら俺と音楽の話をする時は前向きで「いいバンド作ろうぜ!お前だったら出来るから」と常に緊張していた俺を勇気づけてくれた。

TAIJIさんはリハビリを重ねて、だいぶ足の具合も良くなり2006年5月TAIJI with HEAVENSの1stライブが決まる。まだ正式メンバー決まっておらずオリジナル曲もない状態だったのでカバー曲中心。当時メンバーはTAIJI(Ba)、GEN(Gu)、Shu(ゲストGu)、清水賢治(Key)、DAI(Vo)、MASAHIKO(Dr)でXのナンバーからは「Miscast」「Desperate Angel」をやったと思う。このライブではTAIJIさんは椅子が置いてあったもののほとんど立って演奏できるぐらいになっていた。

その後TAIJIさんはDTRの再結成が決まり活動再開し、TAIJI with HEAVENSはメンバー集めとオリジナル曲作成にとりかかる。しかしそんな中またTAIJIさんに大腿骨頭壊死という病魔が襲い手術することになる。

入院生活が始まりまたも音楽を遮られたTAIJIさんは自暴自棄に陥ったりしてたけど、ファンの方の声や周りにいた者の励ましによってポジティブに気持ちを変えて行ってくれた。
しかしDTRが再開しTAIJI with HEAVENSもギターにRYUTAROが決まりオリジナル曲も出来て行く中、TAIJIさんは手術の時に入れた人工股関節が定期的に外れる様になり常にリハビリした常態での音楽活動になる。

ちょうどこの時ぐらいに色々あって俺はTAIJIさんと1つ屋根の下で一緒に暮らしていた。毎日夜遅くまで当時の音楽のことは勿論の事、昔の出来事を語ってくれた。その時1番感じたかな、XってTAIJIさんにとって特別な存在で今でも好きなんだなって思ったのは。
TAIJIさんはhideさんのお墓参り年に何回も行ってるし。

その後TAIJIさんはライブ活動は減ったもののTommyさんの映画「ATTITUDE 」の音楽監督や楽曲提供などの仕事をメインで行ってた。
TAIJI with HEAVENSは楽曲はだいぶ出来上がったもののメンバーが決まらずもう少し時間がかかる状態だった。

その後TAIJIさんは2009年THE KILLING RED ADDICTIONでステージに上り2010年にTAIJI with HEAVEN`Sが本格的に始動する事となる。


短くまとめてしまったけど、これらが出会ってからの出来事。
ここに書ききれないぐらい他にも色々あるんだけどね(笑)
少しずつではあるけどTAIJIさんは上向きで進んでると思う。以前も書いたけど俺が出会ってからのTAIJIさんの中で1番動きがあり、ライブ含めた音楽活動を見ると劇的に復活してると思う。そこに一緒にいられる俺は幸せ者だし、凄く嬉しい。

TAIJI with HEAVENSは勿論の事、TAIJIさん本人もさらなる飛躍で前に進んで行くのでこれからも宜しくね。

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