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今日は(もう昨日か)元トリップトラップのKOZI君の忍者バンド「博多名物しぇいむれす」のライブを見に行ってきた。他のバンドは普通のロック系バンドだったけど、彼のバンドだけ見た目も楽曲も違っていた。

ここまで異色のステージは初めてかも(笑) 大太鼓で幕開いてお得意のお笑いも冴えていた。手裏剣飛んできたり、腹話術あったり初めて見る人も楽しめるバンドではないかと思った。ライブ後会話ついでに1ショット



最近自分の音楽に対する志気を高める為にも月に1~2回誰かしらのライブに顔出すようにしてる。やっぱり他のライブを見たあとは気分が高鳴り、長く音楽から離れていた時は忘れていた何かを取り戻してくれる。

今は面立った活動はしてないけど髪の毛を何故か伸ばしている(苦笑)
どこまでいけるだろうか??。。若き頃は全然長い髪なんかは気にもせず、むしろ長髪じゃないとロックじゃないと思っていたから。
でも今は夏の暑さに負けそうで、汗を感じたら切ってしまうかも。

ライブ行く前、渋谷にできた商業施設「渋谷Hikarie」がオープン日だった為ちょっとだけど覗いてきた。オープンだけあって人の多さは半端なかったけど、デザイン性に富んだ作りで今度ゆっくり見てみようと思った。



全然話は変わるが、ふと思ったのだけど今年は花粉症の症状があまりでなかった気がする。花粉症卒業は近いのかね。。




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TAIJIさんの足が徐々に良くなりはじめ、退院後時々サポートのステッキを使っていたんだけどその使用も殆んどなくなり、自分で問題なく身の回りの事をこなせる様になってきた。

ちょうどその頃にTAIJIさんとスタッフの人と共に三浦霊園に眠る亡きhideさんのお墓を訪れた事がある。2007年6月初旬、まだ初夏なのに結構暑くて2人共タンクトップの真夏のカッコで向かったのだった。

TAIJIさんは命日に行きたいと言っていたけど多分ファンが多いからと周りに反対され日程をずらしたのだった。自分も以前訪れた事あるんだけど、長い月日が経っても変わらず沢山の花に囲まれた綺麗なお墓に眠っていた。

そこで偶然にもhideさんのご両親にお会いし、TAIJIさんは昔の話や近況を話し懐かしい時間を過ごしてるみたいだった。

その後その霊園からの見渡しが良くTAIJIさんはリハビリも兼ねて散歩し、その後三浦海岸の砂浜に移動し潮風を感じながらゆっくり流れる時を感じてる。。と言いたい所だったけど、途中からTAIJIさんは自分をどうにか海へ投げ入れたいのか何を目論んでいるのか、いい大人が2人海岸で奇声あげていた。



ちょうどこの頃、TAIJIさんの元には新谷さん(RAPES)をはじめ昔の友人の方が顔を出されるようになりTAIJIさんも昔の記憶とともに色々な方と付き合いを広げていく事になる。

ヘヴンスでは「BLOOD IN BLOOD」のギターやベース入れが終わり、ボーカルメロディを試行錯誤している時だったと思う。



つづく。。。








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ヘブンスは曲作りを始め、泰司さんはDTRを中心に活動を行う事となる。

でも気持ちは前向きだったと思うけど、やはり手術後なかなか手術箇所が完治しない状況が続き精神的には不安定が続く感だった。周囲の者にその不安や苛立ちを結構出していく中、環境も変えたいのか生活の場を色々変えたりしていた。その中の1つが自分の家で、日数にして1ヶ月ぐらいであろうか、狭いワンルームの部屋だったけどTAIJIさんは自分と1つ屋根の下で同居する事になったのだ。

そこでは色々な事が起こったけど忘れられない思い出となっている。
その生活で知ったのは前々から聞いていたTAIJIさんの料理ネタであり、一緒に住んでいた期間小さなキッチンで材料や調味料は限られるのだが、見事なほどに和を中心とした煮物、和え物の創作料理が出来上がってくるのだ。味は勿論なのだが、見た目も重要と言ってお皿にこだわりながら盛ってくれた。

TAIJIさんは音楽も同様「どんなにカッコいい音楽をやっても、見た目が駄目なら魅力が無い」とよく言っていたが、それに通じる物かなって思ったりした。でもあの数々のバリエーションの料理には感動すら覚えた。


近所ネタでは近くのファミリーマートの店長、店員さんがTAIJIさんファンで行く度に歓迎されて、何かあれば店舗限定でポスターなり宣伝なりしてくれると温かい言葉を掛けてもらっていた。ちょうどその頃そのファミリーマートで葉巻が色々置いてあったりしてTAIJIさんはそれにはまってよく買うようになり、葉巻をくわえた写真を所々で掲載するようになっていたと思う。


音楽の方ではTAIJIさんが幾つかの機材を持ち込んだので足の踏み場も無いぐらいだったけど、TAIJIさんのプレイを間近で体感できて色々勉強させてもらえる期間でもあった。DTRは勿論の事だけどヘブンスの曲も少しずつ出来上がってきたのだった。ちょうどヘブンスのミニアルバム曲に入っている「Freeze」は確かこの頃、何もテーマも決めずその時の気分で偶然できたフレーズで「何かカッコいいの出来たから聴いてみてと」TAIJIさんが言ったのを覚えている。

あと今までTAIJIさんと行動を共にして感じたのだけど、TAIJIさんの感情が乱れたり、怒りモードになると何かが壊れるという現象が多々あった(笑) それもパソコン、楽器、家のものなどさまざまだった。怪奇現象すら信じない自分でもおかしいなと思うぐらい。

これは自分の家に来て初の壊れた電球。



ユニットバスで足が調子悪くて自分自身に怒ってみたみたいなんだけど、バスから出ると「ゴメンDAI!怒ったから電球切れちゃった」と笑いながら暗くなったユニットバスからTAIJIさんは出てきた。「これお前の家で1発目だから記念に持ってろ!!」とTAIJIサインと記念すべき1発目と書いて渡された。その時からこれは捨てられず棚の引き出しの中に入れてあった。


出来事はまだまだ沢山あるけど、これを書いていると話が終わらなくなるので(笑)
でもこの同居生活で色々体験させて貰ったし、TAIJIさんの色々な面を見れる事になった。

その後、自分同様他の音楽友達の家を転々として、また自らの自宅へ戻るのだった。
常に音楽仲間やバンドマンと触れ合っていたのか、その頃にはだいぶ精神的にも安定し体も次第に良いほうへ向かっていたと思う。



つづく。。。

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