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ずっと昔から思ってきた事があるのだけど、「神」という存在に存在についてなんだけどね。
以前は、作曲をする時や作詞する時に曲コンセプトとして取り上げたことが結構あったのだけど、ここ数年前から神という存在やそれに縦横するテーマをまともに意識して作ったことが無いのが事実なのよ。 まぁ自分の周りでは真に神を信じてる人は少ないんだけど、正月とかにイベント的に初詣に行って今年1年良い年になりますようにと神社でお賽銭投げてるのは事実で(笑) 自分もその部類に入ると思う。 自分は宗教とかも興味なく、無宗教と呼ばれる人間なので 結論から言うと神は存在しないと思ってるのよ。 例えて言うと 一般的な神に祈る=己の運を祈る みたいな感覚 以前、宗教や占いなどにすがる人は弱い人ではないか?と持論を書いた時、誰かが人間は弱い生き物で何かにすがらないと生きていけないみたいなとコメントあったので、実際どうなんだろうと思ってこのブログ書いてみた。 「神」は存在すると思うかね? 「神」について自分の見解と近かったので一部見つけた文章抜粋して載せてみる。 ちょっと格言的過ぎるかもなんで「神」を信じてる人には非難を受ける内容かもだけど(笑) 「神」という存在を信じている人は多い。日本では、熱心に信じている人は比較的少なく、全く信じていない人もそれなりにいるだろうが、海外では、その割合は、ほとんど9割以上のようである。先進国たりとも、キリスト教信者の割合が多数を占める国が多く、他の宗教も含めた、神を信じている人の割合は、9割以上であろう。海外には、何の神も信じていないと聞くと、まるで悪魔に魂を売ったのかというような言い方をする人も少なくないようである。 だが、結論から言って、神は、明らかに、人間の勝手な空想の産物であろう。 神が人間の前に出てきたことなど、これまで一度もない。 これまでも、世界で多くの悲惨な事件や事故が起きてきた。 そして、東日本大震災の地震・津波もその一つである。 こういうとき、神はいないのだということを改めて実感する。 もし神がいるとしたら、こんなことを起こすはずがないと思う。 東日本大震災で大津波に飲み込まれ、流されていった人たち、がれきの下で火に焼かれて亡くなった人たち、救出を待ちながら、冷たい水の中で寒さに凍えて亡くなっていった人たち、...。 この中には、子供たちも、赤ちゃんもいる。 他の人を助けようとして亡くなった人、避難の誘導をしていて亡くなった人、役場で、最後まで避難の放送をし、自分自身は逃げることができずに津波にのみこまれた若い職員もいる...。 残された人々の悲しみも大きい。学校に行っていた子供を失った母親、結婚するはずだった婚約者を失った男性、妻と一緒に長年生きてきて、妻を失った老人...。 もし、神がいるなら、なぜ神はそんなことをしたのだろうか。 津波の後、全てを失った人がいる。家を失った人、船を失った漁師、...。神がいるなら、何の罪もないそうした人々に、宝の山でも出してもらいたい。 神が人類の前に現れたことは、これまでもなかった。ただ、神話や古文書という創作物があっただけである。それを、人々はありがたく信じてきた。 それにはもちろん理由がある。 過去、人々は今よりはるかに貧困で、寒い中、暖房もなく暮らし、権力者から搾取され、医学も発達していないから、人々は若くして死んでいき、毎日の労働も過酷だった。そんな中、人々は生きる意味を宗教によって与えられなければ生きていけず、また、死後の世界で楽しく暮らせることを信じなければ、とてもではないが、生きている間の苦しさに耐えられなかったことだろう。 そして、そうした貧困の中では、人を殺してはいけない、人のものを盗んではいけない、といったことも、神によって見られているからだという、外からの道徳を与えられなければ、人々は自分たちを律することはできなかったであろう。そういう時代に、「神」という「装置」を発明したことは、個人にとっても、社会にとっても、それなりに意味があったのだと思う。 だが、人類自身が文明を発達させたことで、人類は過酷な重労働から解放され、快適に暮らせるようになり、医療も発達したことで多くの命が救われるようになり、民主主義という人々を尊重する社会体制が作り上げられたことでしいたげられる人々も少なくなってきた。 現在、神という存在は、人類にとってもう必要ない。 今、我々は、はっきりと気づくべき時ではないのか。神などいない。これまでもいなかった。人類は、壮大な嘘を、ずっと信じてきたのである。 神に頼ってもなにもならない。いないのだから。いないものに無意味な期待をするのではなく、いかに、人類が、我々自身の力で、協力して、生きていくのかを真摯に考えていくべきである。 信教の自由は、保障されるべきである。 信教の自由は、社会において、最も大切なものの一つとして、守っていくべきであることは当然である。 誰かが、どんな宗教を信じようと、他の人に迷惑をかけるようなものでない限りは、その自由は、守っていかなくてはならない。 それを許さないような社会は絶対によくない 。 神を信じる全ての人々に、考え直してほしいと思う。 神は、本当はいないと、実は心の奥底ではわかっているのではないか? 神がいることを疑いつつも、神がいるということにしているのではないか? 神がいるなら、どうして、こんなにひどいことをするのか? 「これは、神が与えた試練だ」という人もいるかもしれない。しかし、試練のために、無実の子供たちや、他の人のためにがんばった人たちを、ひどいやり方で殺してもいいのだろうか?そんなことをする神なら、人間は、そんな神を軽蔑するべきであると思う。そして、もはやそんな神の教えに従う必要など全くないと思う。 神を信じる人たちに、答えてほしい。神はどうしてこんなことをしたのか?そして、どうして、何の救いの手もさしのべないのであろうか? もちろん、これは、今回の東日本大震災に限ったことではない。世界の多くの国々で、無実の人たちが、戦争に巻き込まれて殺されている。悲惨な事件に巻き込まれて殺されている。1985年の日航機墜落事故では、520人もの無実の人たちが亡くなった。2001年9月11日のアメリカの同時多発のテロでも、多くの無実の人たちが亡くなった。亡くなった人もとてもかわいそうだが、残された遺族の悲しみ、その後の生活の苦しみは、想像を絶するものがある。そればかりではない。ひどい児童虐待によって死に追いやられる子どもたちがいる。激しいいじめにあい、自殺においこまれる小学生・中学生もいる。そういった無実の人たち、子供たちに、いったい何の罪があるのか? 神は、どうして、こんなことをしたのか? でも、おそらく、神を信じる人たちは、この問いに、答えることはできないだろう。なぜなら、神はいないからである。神がいるとすれば、これは決して説明できないだろう。 それから、普段は神など信じてもいないのに、受験や初詣の時には、神社に行って願い事をする、少なくない数の日本人にも、自らに問いなおしてほしいと思う。仮に神がいるとして、普段はそれをろくに信じておらず、神に対して何の奉仕もしていないのに、受験や年の始めだけ、自分のところにやってきて、都合のいいことをお願いする人々に、神は恩恵を授けるだろうか?そういう人たちを受験に受からせ、願い事を叶えてあげるだろうか? もし、自分が神なら、そんなことはしない。神を信じていなくとも、神に依存することなく、自分自身の力でどうにかしようとがんばっている人たちの方に、むしろ恩恵を与えるだろう。ご都合主義の人々に恩恵を与えることはない。むしろ、試練を与える。 だが、ここで、これまで、ご都合主義的に神頼みをしてきたことを、神は怒っているかもしれないと不安に陥る必要はない。なぜなら、神などいないからである。 我々人類は、神など、そもそもいなかったことを、そろそろしっかりと確認し、そんな嘘の存在になど頼ることなく、我々自身の手で、この世界をよいものにしていくという、確固とした決意をしてはどうだろうか。 PR
無題
僕は創価の仏教です………DAIさんと同じくよく言われるすがるとか心が弱い奴とか神だのみではない、創価の場合は決意をする!すがる助けては仏教ではないと思う。そして今日も創価と言うだけでカルトだの誹謗中傷の攻撃は止まない、特にキツイのは自分が好きなロックミュージシャンや芸能人に創価を中傷された時は、もう死にたくなるぐらい、もう感情が壊れますね…………その中傷はまだ癒えてないですけどね、創価を中傷したら仕事も増えるしギャラも上がるし視聴率が上がるしね……う~ん、元サッカーイタリア代表のロベルトバッジョさんは凄いですね創価の熱心な学会員です、それゆえに母国では、何故キリスト教を信仰しない裏切り者と壮絶な弾圧を受けましたが、彼の意思決意は揺らがなかった創価学会の仏教で決意をして壮絶な幾多の怪我と戦いながら最後までファンタジスタだった。。。日本は宗教アレルギー大国ですね、なのに神社に金を投げて叶えてください!実にくだらない滑稽な宗教行為を宗教行為だとは気づかず、イロイロ言いたいこと溢れて もうしんどいです。日本のぼったくり葬式もおかしい 許せないです!
島国日本の思考↓
無宗教=まともな人。。宗教やってる人=キチガイ、クズ、カルト、キモイ、社会の底辺、精神異常者、特異な人。。でも無宗教の方は何故か寺神社を有り難がり箱に金や札を投げて願うエセ宗教行為は好き…意味不明wwどないやねん!
無題
いやぁ、読みごたえのある文章でした(笑)
私の場合は、神は自分の心の中にある抽象的なものですね。 神に限らず、何か、また誰かに、頼りたい依存したいって気持ちは、少なからず誰しも持ち合わせているような気がします(*´-`)
無題
神っていうとマイケルシェンカーが思い浮かんじゃいますね。
無題
いまでのDAIさんのブログ読んでると強い心の持ち主でうらやましいです。
正直、神はいないと思います。 でもいると思うと何故だか安心するのです。
無題
自然が神。
人間も然り。 自然は己を淘汰し 生き抜く事を知っている。
無題
いると思えばいるし、いないと思えばいない。
それぞれでいいんじゃないですか? 信じる事で救われる人はいる訳だし。 それぞれの価値観を否定する必要はないように思います。
無題
いろいろコメントありがとうです。
創価学会よく聞きますね。知り合いでも何人かいますが普段は至って皆普通です。自分の親の世代では、はっきり好き嫌い分かれるみたいで、宗教の違いで結婚、または破談するケースが多いと彼らは言ってます。異なる何かを信仰する事で物事に支障をきたす時があるなら、皆無宗教になれば良いとつくづく感じます。 ただ神だの宗教だの嫌いだけど、別に人間それぞれでなので自分の信じる事やって生きれば良いと思いますよ。 このコメントにない拍手コメントの方でもいろいろ意見あったのですが、「神」は自分自身に存在するのではというのが一番多かったかもです。 |
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