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この曲は自分が2006年にTAIJIさんに聴かせてもらった曲である。

TAIJIさんが作詩、作曲した曲で女性ボーカル用にストックしていた曲と聞かされていていた。
またこの曲は2005年の愛知万博「愛・地球博」のテーマソングの候補に挙がっていた曲らしく、TAIJIさんが想う愛というテーマが伝わってくる曲になっていた。

ロックな曲を奏でていた人が全く別物の曲を作っていたのに当時驚いた記憶がある。
プレーヤーズブログの後半でもこの曲の歌詞が載せられていたと思う。

TAIJIさんが居なくなってずっとこの曲を聴けてなかったんだけど、最近ようやく何度か聴ける様になっている。というのは2010年3月の韓国ライブが中止になりサイパンの人たちと付き合うようになった頃、この曲をヘヴンスバージョンで作成して発表しようという事になり、結構形になっていたのである。だからTAIJIさんと最後に作成していた曲という事でなかなか聴けずにいたのだった。

この曲はクラシックな曲調で原曲ではベースが入ってないんだけど、色々な音が重ねられていて壮大な楽曲といった感じでなっいた。

ヘヴンスバージョンでは若干バンドを意識したアレンジにしていた為、最後にベースを入れるからとTAIJIさんは言っていたのだけど、それも録ることなく止まったままなのである。

だからこの曲はTAIJIさんが残した曲として届けたいし、ライブする時は演奏もしたいと思ってる。



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2009年12月26日「KEYNZ」という洒落たバーでTAIJI 20thイベントが行われた。この時初めてTAIJI with HEAVENSのメンバーも紹介される事になる。

2部制という形で行われたと思うけど、そこまで広くもない店内はよくこんなに人が入ったなと思うぐらい一杯だったのを覚えている。確か70人ぐらいずつのイベント。

トークや握手会などあるイベントでアコスティックだけど曲演奏もやったと思う。
実はTAIJIさんやる前からめちゃくちゃ緊張していて「東京ドームよりはるかに緊張する」と言っていたのよ(笑) 多分TAIJIさんにとってこんなにファンが間近でいるところで演奏するのはあまり無いと思うから。

自分について言えばこの時、横浜の1stライブ以来であろうか普通なら客席側にいる人間だったのに、TAIJIさんと同じのステージ側にいて本当に良いのか?。。と再び疑心暗鬼に陥ったのは。確かにこの時にはTAIJIさんとも何でも言い合える仲でもあったのだけど、お客さんを前にして堂々とステージに立つTAIJIさんを見ると、やはり「TAIJI」という名前は自分にとって偉大な人物とあらためて認識させられたイベントでもあった。

このイベントでは会場がライブハウスではない為、会場の設営からリハーサルまで特殊な流れで進められたのだけど、この時右往左往してるスタッフをまとめたのはRYUTAROだった記憶がある。 それを見た時彼はリーダー気質でシュラフの時は責任感あって頭の回転が速いなと感じたのだった。

TAKANARIはパートはドラムだけどこの時はキーボード演奏したと思う。初めてTAIJIさんと同じステージで彼もこのイベントをきっかけで後のヘヴンスドラムとなる。
まだこの時そこまで彼の事は知らなかったけど、見た目はカッコ良かったのでホストとかやったらお客さん付くんだろうなと思っていた(笑) 後の上映会とかでTAKANARIはTAIJIさんにホストと呼ばれていたけど実際に彼はホストはやったことなくあれはただ場を盛り上げるジョークである。

このイベントでは「Born to be Wild」のアコースティックを演奏したのだけど、TAIJIさんはこの曲が好きで、色々なところで演奏してると思う。イベント数日前にこの曲ではお前はタンバリンを持って歌えと言われたので、深夜ドンキホーテに1人タンバリンを買いに行った記憶がある。
いざタンバリン使いながら歌って見ると意外に難しいのよ(笑) 綺麗なリズム音でタンバリンを叩くのを心掛けると歌の方が弱くなってしまう。その逆でもそうである。
もしかしたらリズム感のない人間だったのかもしれないけど。。

あとこのイベントでTAIJIさんの手作りアクセサリーを幾つか販売したのだけど、この頃TAIJIさんの部屋の一角にはどこで仕入れたのか、よく学校の工作室にある土台のある電動ノコギリや普段見ることのないヤスリや研磨機などが置かれていて、何かに凝る時は本格的すぎるとびっくりしたものだった。

イベントは2部制だったけど、結構早く時間が過ぎて行ってこの機会にヘヴンスも動き出して行くことになる。

つづく。。。

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2009年秋ごろ、本当に少しずつだけど進んでいた曲作りはだいぶまとまって来て、最終的に音源に入れることに決まった「Wish」のベース録りを残すのみとなっていた。

ここまでの間確かに色々あってスムーズには進めなかったけど、むしろその分思い入れのある曲達に仕上がってる感じがしていた。

最後の「Wish」ベース録りも自分の家で行ったのだけど(本来ならレコーディングスタジオを借りてプロのエンジニアに作業してもらうのが普通なんだけど、正直そこまでお金をかける余裕はうちらには無かったのである。5曲ぐらいだと平均的には4、5日かけて30万前後かかると思う)理想のベースラインを頭に入れていたみたいで、これは1日でTAIJIさんがアレンジしてベースを入れたかな。今までもそうだったけど、その場でのアドリブも多い為1テイク2テイク目とベースラインが違うのである。

この曲は確かにXのバラードに近いものになってるんだけど、それはTAIJIさんがあえてそれを意識し全体的にもアレンジして仕上げて行った。

長い1日だったけどTAIJIさんも納得したベースを入れること出来たみたいで、夜遅くに家を後にした。

そしてその後CDに入れる曲は「Keep The Faith」「Merry Go Round」「Warning~この男凶暴につき」「BLOOD IN BLOOD」「Wish」「Freeze」の6曲と決まりミニアルバムとしての発表としたのだった。

先にライブをやるかCDを出してからライブをやるか色々、意見を言い合っていたのだけど、この年はTAIJIさんが音楽の世界で世に出てからちょうど20周年という事で、イベントをしてそこでメンバー披露しCDも先行発売しようという事になった。

それが12月となり結構ギリギリで物事が進んで行くことになり、この頃確か寝る時間も少なく体力的に限界が近づいていたのを覚えている(笑) 

最初の横浜ライブから早4年が経っていた。
この間TAIJIさんは多々の病気で己との葛藤もあり、荒れた時期もあった。自分は不満や矛盾を唱えて2、3度TAIJIさんの元を離れた事もあった。それでも自分を必要としてくれたから、このCDが完成した時は半端ないぐらい嬉しかった。そして、ただただTAIJIさんに感謝の言葉しかなかった。

次回は20thイベントにて


つづく。。。

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